遺伝と環境〜行動をつくるのはどちらか〜
感覚支配的行動と認知的行動(行動の水準参照)という分け方は、説明を簡単にするための便宜上の分類でしかありません。では、ヒトの行動やこころの働きの特徴等を作り上げるのは、結局のところ生まれ持ったものなのでしょうか。それとも、経験なのでしょうか。
「氏か育ちか」というような、遺伝 vs 環境、生得 vs 経験、成熟 vs 学習といった問題は、心理学の分野のみならず古くから検討されてきました。一般に、生まれもったものを生得的要因、経験や学習によって獲得されたものを環境的要因とよびます。これに関しては、一筋にどちらが優勢かを決められるものではないようです。生体が生きていくにあたっては、想定しきれないほどの様々な場面に遭遇します。その場面に合わせて、生得的要因と環境的要因は相互作用しながら生体に影響を与えると考えられています。
本能行動や反射行動といった感覚支配的行動が、大きく生得的要因によって規定されることは言うまでもないでしょう。では、それらの行動に対して環境的要因の影響はないのでしょうか。乳児を対象にした実験では、いくつかの原始反射(感覚支配的行動参照)は学習によって反応生起率が上昇することがわかっています。つまり、生得的に組み込まれた行動も、経験や学習といった環境的要因の影響を受けるということです。
感覚支配的行動にも、先に説明した環境的要因の影響を受けるものと、そうでないものがあります。比較的不変な反射的な部分は完了的位相と呼ばれ、経験や学習による変容を比較的受けやすい高次機能と関連した部分は予備的位相と呼ばれます。ネズミを用いた実験からは、メスネズミの母性行動(生育行動)とオスネズミの交尾行動は高次機能との関連が指摘されていて、これらは予備的位相のウエイトが大きいと言えます。ちなみに、メスネズミの交尾行動は完了的位相とされています。
では、こころや行動の発達は、根本的にどのような要因によって決められるのでしょうか。ヘッブは、そのような行動発達を規定する要因を以下の図のように分類しています。
要因Tが、遺伝的要因です。受精卵のもつ遺伝子、DNAの影響となります。それを除いた5つの要因は、すべて環境的要因とされています。その中の、要因WとXが経験的要因です。一般に、身体的成熟という場合には要因T〜Vが、心理的成熟という場合には要因T〜Vに加えて要因Wが影響していると言われています。要因WとXは、通常の学習を通して獲得される経験なのですが、特に要因Wは初期経験と呼ばれ、重要な役割を担っています。
初期経験とは、一般的にある特定の種に属するメンバーすべてが経験するイベントを指します。つまり、ネズミならすべてのネズミが、サルならすべてのサルが、ヒトならすべてのヒトが避けることなく経験する事柄です。これによって、所属している種における社会的な行動等が学習されるわけですが、近年のように社会や環境が急激に変化する時代では、せっかく獲得された初期経験で適応しきれずに教育や社会の問題となることもあります。
生得的要因と環境的要因は、どちらかが優勢であるということはありません。十分な成熟のためには、「氏か育ちか」でなく「氏も育ちも」必要になるわけです。しかし、ヒトとして成熟していくためのプランは、遺伝子に組み込まれているのも確かです。その設計図にたいして、環境的要因の刺激が十分に機能してこそ、ヒトはヒトとして、ネズミはネズミとして、外界に適応できる成熟が得られるといえます。